
〜栄光の教会を⽬指して〜
「わたしの家は祈りの家」
―「あなたの収穫のために働き手と隣の土地を与えてください ! 」と祈る教会―
・・・「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
マタイの福音書 9 章 37~38 節
昨年は「わたしの家は祈りの家〜至る所で祈りが満ちる教会へ〜」 ( マタイ 21 章 13 節 ) というビジョンのもと、「城壁の祈り」「ファミリー制度」と「ミニストリーチーム」に取り組み、主がたくさんの御業を見せてくださいました。垂穂教会を「私の神の家族 ( ファミリー ) 」と受け取り応答してくださったお一人お一人に心から感謝します。
昨年夏頃から「主の願われる祈りの家とはどのような家か ? 」「教会が何を祈っていくことが主の御心なのか ? 」という祈りに導かれ、その中でマタイの福音書 9 章 37 − 38 節を示されました。そして「わたしの家は祈りの家」は継続しつつ、一歩進むために、『わたしの家は祈りの家』〜あなたの収穫のために働き手と隣の土地を与えてください ! と祈る教会〜をテーマに 2025 年度を歩んでいきたいと受け取りました。
ファミリー制度も 3 年目に入り、「よみの門」をも打ち砕くイエスの御名によって 2、3 人が集まり、「祈り合う」ことによって、より強く「組み合わされ」ていきたいと願っています。
そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。
マタイの福音書 16 章 18~19 節

昨年夏ごろから、教会の若い世代に神様が触れてくださり、生涯を主に捧げたいと願う兄弟姉妹が数名起こされました。私自身主より「父の心を持って彼らを愛し、弟子訓練するように・・・」と促しを感じていきました。しかし「次世代の育成」は教会にとっても、私にとっても ( 祈りと御言葉に専念する ) 最重要課題であるとわかっていながら、覚悟と情熱を持つことができず、魂の収穫のため「真剣に祈れない自分」に直面させられました。
そのような中で、今回の御言葉であるマタイ 9 章 37~38 節が与えられ、自分たちの力に頼るのではなく、「魂の収穫」のために「働き人を与えてください ! 」と大胆に祈り始めることを示されました。
現在、日曜礼拝も満席になることが多く会堂も手狭となっております。またファミリーの自転車置き場として、パンの無料配布の待機場所 ( 50 名以上の方が並ばれています ) として、「隣の土地」が大いに用いられています。このように現時点でも必要があり、将来この地で宣教の働きを継続するためにも、「場所 ( 隣の土地 ) を与えてください ! 」と祈るように主は願っておられるのではないか ? と強く思わされました。
さらに祈る中で、今の垂穂教会に「魂の収穫のための働き手 & 土地」が必要なことは、主はすでに御存じであるが、私たちが「与えてください ! 」と祈り求める時に、主の御心をあらわし応えてくださることを知り、主に信頼できず祈ってこなかったことを悔い改めさせられました。
それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされた。また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。
マタイの福音書 9 章 35~36 節
そして上記の御言葉は、今回のテーマの御言葉の直前の箇所であり、収穫の主に働き人を送ってくださるように祈る理由について書かれています。そこには「病気やあらゆるわずらいで苦しみ、羊飼いのいない羊のようで、弱り果てて倒れている」群衆に対して、「すべての町や村を巡り、教え、御国の福音を宣べ伝え、癒し、深くあわれまれた」イエス様の姿を見ます。垂穂教会が置かれている六郷地域、兄弟姉妹の家族や職場、学校、日本や世界の状況も当時と同じであると思わされ、自分自身がイエス様の働きを十分できてないことを痛感させられました。しかし「収穫すべき畑は色づいているのに、働き人やそれに必要な土地や場所が足りていない ! 」と渇き、収穫の主に「主よ ! あなたの収穫のために、私たちに与えてください ! 」と祈るならば、必ず与えてくださると確信しました。
あなたがたは、『まだ四か月あって、それから刈り入れだ』と言ってはいませんか。しかし、あなたがたに言います。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。
ヨハネの福音書 4 章 35 節
2025 年度は、「わたしの家は祈りの家」として一歩進み、以下のように垂穂ファミリーとして具体的な祈りを捧げていきたいと思います。「主よ ! あなたの収穫のために、私たちに働き手と隣の土地を与えてください ! 」と祈ります。私たちが「ください ! 」と信仰を持って祈る時、主の御心であるなら豊かにそれらは与えられ、主の栄光を見ることを信じます。
しかし正直なところ、「与えられなかったらどうしよう・・・」「祈りが聞かれなかったらどうしよう・・・」「兄弟姉妹ががっかりしてしまうのではないか ? 」と私自身恐れがありました。しかし祈りながら、主が教えてくださったのは「祈り求めるなら ! どんな結果であっても私たちへの主の答えは必ず最善であること ! 」「祈りが聞かれるから主を愛する信仰ではなく、愛するから祈り求める信仰を主は私たちに与えたいと願っておられる ! 」ということでした。
ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
へブル人への手紙 4 章 16 節
垂穂キリスト教会牧師
桐山 塁